ちょっとシニアチック Watercolor by Osamu 水彩画家のロス日記 Watercolorist Diary

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2006年 03月 26日

トワラムン・ミィドウ

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ヨセミテ公園の風景は沢山描いていますが、
それはヴァレーのものが殆どです。
そこから山を登り湿地帯へ出ると別の世界が広がります。
トワラムン・ミィドウと呼ばれる場所です。

この辺りは昼間は平坦な風景ですが、
日の出や夕焼け時の美しさには息を呑みます。
上の水彩画は、その湿地帯の日の出の風景です。


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by shinia62 | 2006-03-26 13:23 | Comments(4)
2006年 03月 25日

私のハリウッド =カラテキット2= その3

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 最近の映画はスタジオ外の何処かにセットを作る事が多い。映画
「さゆり」の花街セットはヴェンチェラーの広大な牧場の一角に作
られた。しかし、「カラテキット」はバーバンク・スタジオのロッ
トを使って那覇市を再現した。一ブロック程の町並みが永久的に作
られているその一角は、時にはニューヨークのストリートに成った
りするのだ。
 私の仕事は垂れ幕などの看板を書く他に、那覇市の街に姿を変え
たロットでウインドウ、壁、テントなどに日本語を書く事。街が徐
々に出来て行くのを見ながら、毎日そのロットで仕事をする。それ
は楽しい経験だった。ハリウッドで映画の仕事に携わる。自分が今、
その映画のスタジオで実際に働いているのが信じられない。

 仕事の量が凄いので、スタジオ付きの職人に手伝ってもらう事に
成った。彼等は映画ユニオンのメンバーで待遇は最高なのだ。従っ
て私の様に一生懸命働く必要も無い。其の為か仕事の鈍い事。私は
イライラが増すばかり。大きな日本語文字の輪郭を塗り、中を彼等
に塗ってもらう。
 映画業界は組合が強く、メンバーでなければ仕事は出来ない。私
は例外なのだ。日本語を書ける職人が居ないので特別に雇われた。
VIP待遇の看板職人なのである。

 何時もの習慣でベストの仕事をしようと頑張った。しかし映画の
セットで描く看板は商売用の看板とは違うと教えられる。
 街のセットに一生懸命描き上げた看板に、水槽タンク車がやって
来て泥水を掛け始めた。「私の仕事に何をするのだ」と叫ぶ。しか
し、落ち着いて考えてみれば街の看板は新しいのも有れば剥げ掛か
った古いのも有る訳だ。それらしい街のたたずまいにする為、必要
な作業なのだと気が付く。それからはもっと気楽に文字描きをする
事にした。


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 アイスクリームのワゴンや後ろに見えるテントの文字、全て私の
作品である。


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 「子守り致します」「貸間」など紙ビラも私の作品。
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by shinia62 | 2006-03-25 04:12 | はりうっど、ハリウッド | Comments(2)
2006年 03月 22日

私しのハリウッド =カラテキット2= その2

 スタジオの壁にいろんな資料が張られていた。建物の図面、店の
中らしい設計図、そして沖縄の街の写真などである。それを元にセ
ットがデザインされる。
 中でも私の興味を惹いたのが絵コンテ。漫画の様にコマ割で映画
のシーン展開を説明する物だ。劇画調の荒いタッチが面白い。
 ここを本拠地として私の映画仕事が始まる。スタジオには最初の
訪問で紹介された、プロダクション・デザイナーのビル・キャサデ
ィー。そしてもう一人のビル・ティーガーデン。日本情緒満点なラ
ストネームだ。そして私の3人。
 初日のその日、ビルは何枚もの図面を私の前に置き説明を始める。
これから始まる大仕事に胸はドキドキだが、クールを装う私であっ
た。

「まずこれらの看板を作ってもらいます」
 リーガルサイズ用紙4枚にびっしり書かれたスケッチ。英語のそ
れを日本語に訳し看板に仕上げる。その量の多いのに唖然とする。
「必要ならスタジオ看板部の職人にも手伝ってもらう様に」
 と言っても日本語だ。これは大変な事に成ったと身体が熱く成る。
その他に街のセットの文字書きもあった。店のウインドウや壁の文
字、テントの文字にそれから、、、気が遠く成る。とにかくやるし
かない。日本人のメンツが掛かっている。

 その中の何点かをご覧頂こう。
まずこの図面中央の垂れ幕。長さ14メートル程の大きな物だ。材
料はスタジオ側で用意された。厚いキャンバス地。ペイントが吸い
込まれて書くのが大変だった。


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 デザイナーが作ったオリジナルスケッチ。


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 英語スケッチ上部のデザインを日本語に訳し書き上げた垂れ幕。


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 映画の画面で見る垂れ幕。(右角の垂れ幕がそれ)

 こうして仕事は始まった。
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by shinia62 | 2006-03-22 09:10 | はりうっど、ハリウッド | Comments(2)
2006年 03月 18日

私のハリウッド *カラテキット2* その1

 1984年、私はそれまで働いていた日系看板店から独立した。
小さな場所だがサンゲーブル市に看板店を構える。
ちょうどロサンゼルスオリンピックの年だ。
商売が100年続いた場合でも、創業の年が覚え安い。(笑)

 商売を始めて1年後、夏の熱い盛りにクーラーも無い店で頑張っていた。
電話が鳴る。バーバンクの映画スタジオからである。
最初は誰かの悪戯かと思った。
電話の男はバーバンク・スタジオ看板部のビルだと名乗る。
「貴方は『カラテキッド』(邦題『ベストキット』)と言う映画を知っているか」


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 私は観ていなかったが1年前に大ヒットした映画だった。
「実は『カラテキッド2』の制作中なのですが、日本語を書ける看板職人を探しています」
 あちこち探しているうち、私の店を電話帳で見つけたと言う。
日本語を書ける職人は数える程しか居ないので無理も無い。
「書ける職人が居ても英語を話さなかったりで、なかなか見つかりません」
 凄い話しだ。一瞬尻込みする。本当なら大変な事だ。
とにかくその男とスタジオで会うことになった。

 その日スタジオのゲートへ乗り着ける。
用事でスタジオの前を通った時、このゲートを入る車を見て羨ましく思っていた。
憧れのハリウッド映画スタジオで働く人達なんだなあと。
そして今、私がそこに居た。

 守衛に名前を告げると訪問者リストをチェック、
「はいどうぞ、あなたの行くスタジオは、入って直ぐ右に曲がったところです」

 電話で話した看板部のビルがスタジオを案内してくれる。
こんな所で看板を書いている幸せな職人も居るんだなあ。
そんな事を思った。
「それではこれからプロデユーサーに会いに行こうか」

 全く現実味がないのだが、プロデユーサーって偉い人に違いない。
 部屋に入ったら40代と思われる男が1人。退屈そうに椅子に座っていた。
私が40代の頃だったので、同年配の男と言うべきか。
違いは大柄な身体に高級そうなスーツを身に着けている男に対し、
よれよれの仕事着の私。
自己紹介が終わって、簡単な仕事の説明があった。
それからいよいよ本題だ。プロデューサーは単刀直入に言った。
「ところでこの仕事を貴方に頼んだら、幾らでやるか」

 実はこの仕事の話しが来た時、あまり乗り気ではなかった。
看板店を始めて1年目、ようやく軌道に乗った頃だった。
この映画の仕事は2ヵ月続くという。
この仕事に時間を完全に束縛されたら、看板店は駄目になる。
仕事は取れなくても良いやとの思いから、私は大きく出た。
「自分のビジネスがあるのでそれに悪影響が出ない時間割にすること。
時間給で○○ドル。」
 なんてことをはっきり言った。言っている本人が信じられない金額だった。
これで採用はお流れだろう。

 ところがだ、プロデューサーの男は
「はい解りました。それではお願いします」
 と軽く言った。良く解らないけれど、
ここは私の常識では計れない世界の様だ。

「それではこれからスタッフに会って貰います」
「はい、よろしく」
 さっきまでのハッタリががらっと崩れ、おとなしく彼の後に従った。

 トレーラーの様なオフイスがあちこちにあって、その1つに入った。
そこで何人かのスタッフに紹介される。
中の1人が私の直属の上司になるプロダクションデザイナーだった。
名前はビル・キャサディー。
名前がなかなか覚えられないぼくが、唯一覚えた名前だ。
白い顎髭が良い感じの、やさしいおじさん風であった。
私を見て恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

 こうして私は「カラテキッド2」のプロダクションデザイン部門に採用された。
店へ戻る車の中で、頬をつねってみたらうんと痛かった。夢ではないぞ。

 仕事が始まるのは11月だ。その前にと、
昨年大ヒットだった「カラテキット」をビデオで視た。
面白い。この映画に関わる事が出来るのだと思うと、
じわっと嬉しさが込み上げて来た。
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by shinia62 | 2006-03-18 08:39 | はりうっど、ハリウッド | Comments(0)
2006年 03月 17日

私のハリウッド、その始まり。

このブログでは、
透明水彩画とハリウッド映画エキストラ経験を中心に書いて行こうと思っている。
水彩画はビジュアルアート、映画はパフォーミングアート。
言うなればアート系のブログと言う訳だ。

映画との関わりを書くにあたり、話しを少しさかのぼってみたい。

1979年、私は日系人の経営する看板店で職人として働いていた。
その店がスポンサーに成って永住権を申請、
面接のため日本へ帰った年だった。

その年に上映された「1941」と言う戦争コメディー映画が有る。
監督はスティーブン・スピルバーグ。
ジョン・バルーシー、ジョン・キャンディー、ネッド・ビーティー
初めオールスターキャストの娯楽映画だ。
日本から三船敏郎も出演している。


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この映画のプロダクションから私の働く看板店に仕事が来た。
映画のセットに日本文字を書くのだ。
残念ながら私にその幸運は回って来なかった。
この店の大先輩がスタジオへ出掛けて行った。

街の小さな看板店がハリウッド映画と関わる。
そう思うと、訳も無く興奮する私であった。
考えてみると日本語を書ける看板職人がたくさん居る訳も無く、
仕事が来るのは当然と言えば当然なのかもしれなかった。

昼休みに大先輩にその経験を話してもらった。
潜水艦内部のセットに日本文字をたくさん書いたと言う。
「三船敏郎が居て、セットデザイナーにいろいろ助言していたよ」
淡々と語る老齢の先輩の話しを聞きながら、
「ねえ、三船敏郎と話したんだから少しは興奮したら」
と呟く私だった。

それから5年後、1985年。
看板店として独立したばかりの私の元に、
ハリウッド映画プロダクションから大仕事が入ってきたのである。

余談だが、最近小東京で知り合った三郎さん。
この映画にエキストラ出演した。
しかも、撮影中スピルバーグに認められ、台詞のある端役を貰ったのだそうだ。
無理矢理彼に頼んでその台詞を言ってもらった。
「前方○○○角度○○○砲撃用意」
20年以上前の台詞を、照れながらではあるが、
気合いを入れて演じてくれた。(笑)
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by shinia62 | 2006-03-17 10:16 | はりうっど、ハリウッド | Comments(4)
2006年 03月 15日

タイトルに悩む

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 最新作の水彩画は、童謡を聴きそのイメージを描いた。その歌の
タイトルは「おぼろ月夜」。菜の花のイメージが強かったので、英
語のタイトルは菜の花に。それを英語で何と言うのか調べると、
Rape Blossoms. 強姦(レイプ)とスペルも同じ。「強姦の花」じ
ゃイメージ悪過ぎ。それでHazy Moonlightと原題に近いものを考
える。しかし、どうも絵のイメージと違う。
 未だにタイトルは決まらない。
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by shinia62 | 2006-03-15 12:18 | Comments(0)
2006年 03月 15日

さくら

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桜が奇麗なバルボア公園をイメージして描きました。
デザインとしては好きな作品に仕上がりましたが、
透明水彩の良さが出ていない。
その意味では不満足。
同じ題材をもう一度挑戦しようと思います。

ロサンゼルは今が桜の季節。
でもこんなに寒くて大丈夫かなあ。
ちょっと心配。
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by shinia62 | 2006-03-15 10:43 | Comments(0)
2006年 03月 14日

初公開写真

初めてのハリウッド映画エキストラ経験はラストサムライだった。
エキストラの仕事を始めるにあたって、規則が書かれた用紙を頂いた。
それにはカメラを持ち込むな、携帯はオフにしろ、スターに話しかけるな、
なんて事が書かれてあった。
後で知ったのだが、それらの規則の厳しさは映画によって異なるようで、
写真を撮っても何も言われないなんて事も有る。
もっともそれは小さなプロダクションの場合が多いが。
私は真面目な性格ゆえ厳格に規則に従ったのだけど。

元々スターと話すとか現場の写真を撮るとか興味の無い私だが、
ブログを始めてから考えが変わった。
写真が撮れたら素晴らしい資料に成るのにと残念に思うこの頃だ。

ラストサムライの時、衣装係の女性が神主姿の私達4人の写真を撮ってくれた。
「規則違反なので内緒にしてね」と安物のポラロイドカメラで撮った写真を頂いた。
その時は何とも思わなかったその写真。今では貴重なものと成った。

ここに未発表のその写真を載せます。c0053177_717143.jpg



神主の衣装はこのシーンのため。
明治天皇のひな壇。両側に並ぶ4人の神主。
左前方が私。

因に手前3人の一番左がトム・クルーズ
このシーンでトム・クルーズ他2人が前方へ歩み寄るのですが、
その時彼は私の直ぐ目の前まで来ます。
リハーサルで向こうから挨拶されました。
エッヘン、、、

下の写真は衣装係が撮ってくれた私の神主姿。秘蔵写真初公開です。
秘蔵だった理由が解るって、、、
うるせえ、、たまたま写真写りが悪かっただけだあ。



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最後の写真は以前公開した物。
セットデザイナーのRJが撮ってくれた。
町人風な私。


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これからはぼんやりせずにアンテナを張り巡らし、
エキストラ経験のあれこれを書いて行きたいと思います。
大いに期待しておくれ。
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by shinia62 | 2006-03-14 07:43 | はりうっど、ハリウッド | Comments(4)
2006年 03月 12日

水彩画実験その1。

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次の作品の第一ステップはこんなです。↑
水彩画はこの段階が水々しくて好きです。
これに少しずつ手を入れて駄目にして行きます。(笑)

さてどんな完成作品に成るのでしょうか。
私にも解りません。
今のところとっても良い感じではありますね。
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by shinia62 | 2006-03-12 02:52 | Comments(0)
2006年 03月 10日

学生映画に出演

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 昨夜遅く電話が成った。1時間程チャットで遊んでインターネッ
トを切った直後だった。午後10時を少し回った頃だ。電話の主が
言った。
「ジョーと言いますが、学生映画に出演して頂けないでしょうか。
実はナウ・キャスティングHPでプロファイルを見て電話していま
す」

 昨年の暮れに知人のDに勧められて、無料のプロファイルをその
HPに載せた。映画エキストラの部門が無いので俳優として。そん
なのを見ている人が居るとも思えないし、遊び心からだ。Dは月幾
らか払って本格的に登録している。

「ええ、興味ありますね」
 と私。
「それで撮影は何時なんですか」
「明日午前七時がコールタイムです」
 金曜日に特に用事はない。学生の卒業作品だと言う。学生作品へ
の出演は出演料は無いのが普通だ。俳優の卵が履歴を作るため、無
料で出るのだ。私は俳優に成るつもりは無いので必要ないのだが、
一度経験するのも良い。
「時間が有りますのでやりたいですね」
 そう答えた。現場の地図などを含めた詳細をメールで送ってもら
う。撮影はスタジオシティーの通りである。

 朝5時に起きた。雨が降っている。外での撮影に雨は困る。ラジ
オを聴くと、雨は朝方だけらしい。約束したのでとにかく行くしか
ない。現場に20分前に着いた。ヘッドライトを点けたままの白い
バンが通りに停まっている。映画の関係者らしい。結構激しい雨な
ので車の中で時間まで待った。
 そのうち全員が集まったが雨は止む気配もない。撮影をするのか
しないのか。携帯電話で連絡を取り合う。結局降ったり止んだりの
雨の中撮影が決行された。

 私が出演するのはセットカムコメディーのパイロット(作品を売
り込む為に作るサンプル)だ。勿論本物ではなく学生の卒業作品。
ハリウッド通りのある有名劇場で作品発表会が開かれるのだそうだ。
タイトルは「Hardly Working」。何をやっても続かない白人の
若者。電話帳配達のアルバイトをする。そのボスが中国人のシニア、
ミスター・ヤン、私の役。シーンは配達用のバンの中。
 こんな感じだ。

 台本はその日の朝に渡された。少ない台詞ではあるが素人の私が
即覚えて自然に演技が出来るだろうか。第一俳優としてここに居る
のが既に嘘っぽい。面白い経験がしたいからなどと言うのも無責任。
さてどんな結末に成るのだろうか。

 一回目のリハーサルが始まった。そして私は一気に打ちのめされ
る。相手役に合わせて台詞が出ない。無理も無いのだ。私は自分の
台詞だけ覚えて全体を把握していない。台詞は相手役のを含めて全
部把握しなければタイミングが掴めないのだ。

 監督がやって来た。躊躇している。監督と言っても学生で、その
場をどう処理するのか迷っている様だ。特に私の素人丸出しに。監
督は私と目を合わすのを避けていた(笑)。あまりの酷さに言葉を
失った、そんな様子である。監督は私には全く何も言わず、主演の
白人にいろいろ注文を付ける。プロの俳優らしく、演技は抜群に上
手かった。一方私は何を言われるのかと、一種の期待で彼の言葉を
待つ。

 ようやく監督が私を見た。しかし何も言わない。そこに有った台
本を手に取ると、私の台詞が載るページを本体から外した。その上
部にテープを張るとこちらに渡し
「これをハンドルに張れば大丈夫」
 と宣言した。因にこのシーンで私は車を運転しているのだ。カン
ニングしろと言う訳だ。たった一度のリハーサルでこの結論はショ
ック。その後の監督の皮肉っぽい冗談が、呆然とする私の耳に遠く
聞こえた。
「マーロン・ブランドも台詞が覚えられなくてメモを使っていたん
だ。それと同等のあんたは凄いじゃない」

 私は不器用だ。回りに追いつく為に他人の倍頑張る。即興で何か
が出来る人ではない。練習に練習を重ね人並みに成る。
 ガクンと落ち込む。その後は地獄だった。一度カンニングをする
とメモから離れられなく成る。それに気を取られると相手役の台詞
が聞こえない。演技は相手に反応してするものだ。

 カンニングしろと言われた事は、能無しと言われたも同然。そう
思ったら自分に対して怒りが込み上げた。休憩中にそのシーンの台
詞を必死で覚えた。勿論相手役の分も。出演者のクローズアップを
撮影する辺りで、ようやく台本から離れられた。私のクローズアッ
プは最後だったので、どうにか総てを撮り終えた。

 凄く寒い日で、一時は雨が氷に変わった。撮影クルーの学生に日
本人が一人居た。その彼とのお喋りは楽しかった。昼食は私だけ寿
司を注文してくれた。しかし、思い出すのは辛い出来事ばかり。出
演料の無いこの仕事が、一番辛く一番勉強に成った。「いろんな経
験がしたくて映画のエキストラをしています」と軽口を叩いていた
自分が恥ずかしかった。やる以上納得出来る仕事でなければならな
い。私の中の職人気質がそう叫ぶ。

 この苦い経験から、今は英語の台詞のコールド・リーディング
(台本を即座に覚え演技する)を訓練してみようかと真剣に考えて
いる。
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by shinia62 | 2006-03-10 15:20 | はりうっど、ハリウッド | Comments(5)