ちょっとシニアチック Watercolor by Osamu 水彩画家のロス日記 Watercolorist Diary

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2006年 03月 18日

私のハリウッド *カラテキット2* その1

 1984年、私はそれまで働いていた日系看板店から独立した。
小さな場所だがサンゲーブル市に看板店を構える。
ちょうどロサンゼルスオリンピックの年だ。
商売が100年続いた場合でも、創業の年が覚え安い。(笑)

 商売を始めて1年後、夏の熱い盛りにクーラーも無い店で頑張っていた。
電話が鳴る。バーバンクの映画スタジオからである。
最初は誰かの悪戯かと思った。
電話の男はバーバンク・スタジオ看板部のビルだと名乗る。
「貴方は『カラテキッド』(邦題『ベストキット』)と言う映画を知っているか」


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 私は観ていなかったが1年前に大ヒットした映画だった。
「実は『カラテキッド2』の制作中なのですが、日本語を書ける看板職人を探しています」
 あちこち探しているうち、私の店を電話帳で見つけたと言う。
日本語を書ける職人は数える程しか居ないので無理も無い。
「書ける職人が居ても英語を話さなかったりで、なかなか見つかりません」
 凄い話しだ。一瞬尻込みする。本当なら大変な事だ。
とにかくその男とスタジオで会うことになった。

 その日スタジオのゲートへ乗り着ける。
用事でスタジオの前を通った時、このゲートを入る車を見て羨ましく思っていた。
憧れのハリウッド映画スタジオで働く人達なんだなあと。
そして今、私がそこに居た。

 守衛に名前を告げると訪問者リストをチェック、
「はいどうぞ、あなたの行くスタジオは、入って直ぐ右に曲がったところです」

 電話で話した看板部のビルがスタジオを案内してくれる。
こんな所で看板を書いている幸せな職人も居るんだなあ。
そんな事を思った。
「それではこれからプロデユーサーに会いに行こうか」

 全く現実味がないのだが、プロデユーサーって偉い人に違いない。
 部屋に入ったら40代と思われる男が1人。退屈そうに椅子に座っていた。
私が40代の頃だったので、同年配の男と言うべきか。
違いは大柄な身体に高級そうなスーツを身に着けている男に対し、
よれよれの仕事着の私。
自己紹介が終わって、簡単な仕事の説明があった。
それからいよいよ本題だ。プロデューサーは単刀直入に言った。
「ところでこの仕事を貴方に頼んだら、幾らでやるか」

 実はこの仕事の話しが来た時、あまり乗り気ではなかった。
看板店を始めて1年目、ようやく軌道に乗った頃だった。
この映画の仕事は2ヵ月続くという。
この仕事に時間を完全に束縛されたら、看板店は駄目になる。
仕事は取れなくても良いやとの思いから、私は大きく出た。
「自分のビジネスがあるのでそれに悪影響が出ない時間割にすること。
時間給で○○ドル。」
 なんてことをはっきり言った。言っている本人が信じられない金額だった。
これで採用はお流れだろう。

 ところがだ、プロデューサーの男は
「はい解りました。それではお願いします」
 と軽く言った。良く解らないけれど、
ここは私の常識では計れない世界の様だ。

「それではこれからスタッフに会って貰います」
「はい、よろしく」
 さっきまでのハッタリががらっと崩れ、おとなしく彼の後に従った。

 トレーラーの様なオフイスがあちこちにあって、その1つに入った。
そこで何人かのスタッフに紹介される。
中の1人が私の直属の上司になるプロダクションデザイナーだった。
名前はビル・キャサディー。
名前がなかなか覚えられないぼくが、唯一覚えた名前だ。
白い顎髭が良い感じの、やさしいおじさん風であった。
私を見て恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

 こうして私は「カラテキッド2」のプロダクションデザイン部門に採用された。
店へ戻る車の中で、頬をつねってみたらうんと痛かった。夢ではないぞ。

 仕事が始まるのは11月だ。その前にと、
昨年大ヒットだった「カラテキット」をビデオで視た。
面白い。この映画に関わる事が出来るのだと思うと、
じわっと嬉しさが込み上げて来た。
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by shinia62 | 2006-03-18 08:39 | はりうっど、ハリウッド | Comments(0)


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